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日常生活で学んだ個人的な備忘録です

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就活2 東日本大震災に直撃

前回、私の就活の1社目から~3社目のことを書きました。

今回は、続きの4社目と5社目のことを書きます。

就活で震災に直撃しました。

この記事では、5社目のことを中心に書いています。

 

前回の記事はこちら。

www.rayofstage.com

  

 

4社目

同じ年に3か月間、インターンシップした会社を

受けることになりました。

 

この会社も同じように説明会を聞いて
この段階ですぐに履歴書もそろえて面接でした。

 

面接官は、インターンシップでお世話になって
私がすでに知っている人もいらっしゃいました。

でも、まだ面接に慣れてなくてうまく話せませんでした。

 

3か月間もインターンシップに行ってたので
なんか油断してたんですよね。

 

とりあえず、面接の手ごたえは全くありませんでしたが
結果を待ちました。

後日、お祈りメールが来てました。

 

客観的に見て、準備してなさ過ぎましたし
落ちた理由は、理解できたのですが
長期間インターンシップに行ってても
落ちるときは落ちることを知りました。

 

 

5社目 東京で東日本大震災に直撃

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今までは地元で就職しようと思って
地元で面接も説明会も受けてました。

5社目は、考えを変えて、

東京の会社を受けることにしました。
就活で初めて県外に出ました。

 

この会社の本社は京都だったのですが
東京で説明会を受けることになりました。

 

電池の会社だったのですが
電池には不思議と興味がわいたので
東京は遠いけど、受けてみることにしました。

 

エントリーシートをなんとか作成して
まずは、説明会を受けることになりました。

 

説明会は忘れもしない2011年3月でした。

きっとこの日を忘れることは無いでしょう。

 

電車で東京へ

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私の地元は、石川県で

当時は北陸新幹線がなかったので
特急で金沢から越後湯沢まで行き
新潟から出ている新幹線に越後湯沢で乗り換えて
4時間ほどかけて、東京に行きました。

 

無事に東京駅につきました。
会社は浜松町駅にあったので
山手線に乗り換えて
浜松町駅へ行きました。

 

ここまでは順調だったんですよね。

 

地震発生 浜松町駅ホーム 2011年3月11日14時46分

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浜松町駅のホームにについた瞬間、
時間はちょうど14:45でした。

 

浜松町駅のホームから
改札に向かって歩き出したとき、
突然、地面が小さく揺れました。
その後、揺れは大きくなりました。

 

正直、揺れが大きすぎて
ホームで死んじゃうかもって思いました。

 

就活でたった1回来た東京で

まさか地震に当たるとは。

 

そうです。この日は、2011年3月11日。
東日本大震災の日です。

 

14:46に発生したのですが
この直前に私の乗っていた電車が
浜松町駅に着いたのです。

 

わけがわからないまま、揺れは収まり
階段を上がって、改札を抜けて
駅の外へ出ました。

 

会社へ向かう

とりあえず、会社の説明会は15:30~だったので
印刷した地図を見ながら徒歩で会社に向かいました。

 

ビルの前につきましたが、早めについたので
近くの公園で時間をつぶしていました。

 

すると、ビルから多くの人がどんどん出てきて
たくさんの人が公園に集まりました。

 

そうこうしているうちに、
「東方地方で地震が発生しました。大津波が来ます」

といった謎の放送がかかりました。
状況が把握できませんでした。

 

15:15になったので
説明会参加のために会社がある
ビルへ向かいました。

 

説明会の会場が6階にあったのですが
地震の影響でエレベータが止まっていました。

 

こんな状況だと中止だろうなと思って
会社に状況確認の電話しようと思いましたが
全く電話がつながりません。

 

地震の発生でたくさんの人が
一斉に電話し始めたので、発信できませんでした。
電話を受けることもできませんでした。
メールを受けることもできませんでした。

 

とても困りました。
5分ほどビルの前でウロウロして
どうしようか考えました。

 

ビルの6階まで階段で上がる

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考えてもどうしようもなく
エレベータも動く気配が全くなかったので
リクルートスーツ状態で
ビルの階段を上がって
説明会会場に向かってみることにしました。

 

階段は、1段1段の高さが高く
1階分上がるだけでも大変でした。
15分ほどかけて汗だくになりながら
何とか6階につきました。

 

説明会会場に向かいました。

 

ビルの6階は、ゆっくり横に揺れていました。
高いところは、揺れが大きくなるみたいです。
まだ地震の影響が残っていました。

 

説明会中止

もちろん、6階の会場には誰もいませんでした。
立ち尽くしてメールをセンター問い合わせすると、
メールが届きました。

 

「今日の説明会は中止です。
 次の選考は別途連絡します」
との連絡がありました。

 

もう少し早かったら、階段を昇らなくて済んだのに。

 

帰宅の途へ 電車が動かない

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どうしようもなかったので、
家に帰ることにしました。
とはいえ、ここからが大変でした。

 

まだエレベータが動かなかったので
6階から階段を降りて、地上に出ました。

 

東京駅から新幹線で帰ろうと思い、
山手線に乗ろうと思い、
浜松町駅に向かいました。

 

しかし、浜松町駅に着くと
在来線がすべて止まっていました。
地震の影響で運転が停止していました。
え?どうやって帰るの?
かなり戸惑いました。

 

少し考えて、周囲を見渡しました。

 

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道路は、車で埋め尽くされ、ずっと渋滞でした。
5分くらい道路を見てましたが

道路上の車は全く進んでませんでした。

どう考えたって、
タクシーに乗っても進む気配がありませんでした。
バスも同じです。

 

どうしようか考えました。

 

いったん家族に私の状況だけ電話しました。
このときには、電話がつながるまで1分ほど

かかりましたが、何とか電話がつながりました。

 

 

徒歩で東京駅へ向かう

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その後、
ここでこうしていてもどうしようもなかったので
東京駅に徒歩で向かうことにしました。
距離にして3㎞でした。

 

たった3㎞なのですが
慣れないリクルートスーツを着て
革靴を履いて、歩くのはとても大変でした。
革靴に慣れてなさ過ぎて、
途中足が痛くなったのを覚えています。

 

すべてのバスも電車も止まっているけど、
たぶん東京駅までいけば
新幹線か高速バスくらい動いてないかな
という淡い期待を抱きながら。

 

リクルートスーツを着て革靴で
そして、ガラケーで。

 

東京へは、2,3回ディズニーランドへ行ったくらいで
地理的な感覚もほとんどありませんでした。

なので、東京駅の方向は、よくわかりませんでした。
標識を見たり、近くの人に東京駅の方向を聞いて
とにかく歩きました。

 

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途中、人が避けるエリアがあり、
何があったのかと見たら
ビルの窓ガラスが割れて、道路に散乱してました。
この光景は、東京駅までの道の途中、何度か見ました。

 

このとき思ったのが
こういう大災害が起きたら、
東京のインフラってほとんど止まるということを

知りました。身をもって体験しました。

 

そして、この段階では、ニュースも見ていなかったので
どの程度の地震が起きたかも知りませんでした。

 

とにかく、東京駅を目指しました。

 

途中、テレビ画面を見る機会があり、
津波の映像を見ました。
しかし、なんだか、疲れすぎて頭に入ってきませんでした。

 

歩いても歩いても、道路は渋滞が延々と続いていました。

 

いろいろな意味で不安でしたが、東京駅に向かっている間は、
目的に近づいて行っている感じがして
何とかがんばれました。

 

東京駅に到着 飲食、宿泊、移動手段なし 17時

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迷いながら、1時間ほど歩いたところ、
丸ビルが見えてきて
東京駅につきました。17時でした。

 

帰りの新幹線のチケットは買ってあったので
乗ろうかなと思って電光掲示板を見ました。

 

新幹線は全線ストップしてました。
復旧のめども立ってませんという表示がありました。
もちろん、在来線もストップしていました。

 

駅の改札近くには、まばらに人がいました。
みどりの窓口は行列でいっぱいでした。
どうしようもありませんでした。

 

コンビニに食べ物と飲み物がない

とりあえず、おなかが減っていたので
何か食べようと駅中のコンビニへ行きました。

 

レジ待ちで行列でした。
まぁいいやと思って商品を見ると
食べ物と飲み物は、売り切れてありませんでした。
購入できるものがありませんでした。

 

緊急事態だから、みんな必要なものを

買い占めたんですね。
もう考えるだけ無駄な感じがしました。

 

東京に1泊 ホテルの空き無し

少し考えて、新幹線の動く気配がないのなら
東京に1泊することを考えました。
東京駅のホテルのフロントへ行きました。

 

空き状況をフロントで聞いてみると
満室とのことでした。
私と同じような状況で
帰れなくなった人が予約したんでしょう。

 

この感じだと近くのホテルは、
満室だろうと容易に想像できました。
調べる気力も、電話する気力もありませんでした。

 

駅で座り込む

宿泊もダメ、移動手段ない
食べ物も飲み物もありませんでした。
そして、携帯電話の電池は、

充電できる場所がなかったので
緊急事態に使えるように電源を切っていました。

どうしようもありませんでした。

 

駅のベンチは人でいっぱいで座れなかったので
床に腰を下ろして休んでいました。
疲れていました。

 

新幹線が動かなかったので
在来線はもちろん動く気配がありませんでした。
八方塞がりの状態でした。

 

東京駅で新幹線を待つ

この状態で1~2時間ほど床に座って待っていました。

 

奇跡的に新幹線だけは動かないかなという

淡い期待を抱いて。

 

震源地が福島県ということはニュースで見たので
北回りの新潟を通る新幹線は動かないだろうなと

思いました。

 

新幹線が動く放送がかかる! 20時出発!

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時間は18:30ごろだったと思います。

出発時間は未定ですが、
東海道新幹線を走らせますという
放送がかかりました。

 

少し希望が湧いてきました。

 

南周りで帰る方法です。
東京→米原→金沢のルートがありました。

 

みどりの窓口へ向かい、
チケットを変更してもらいました。

 

あとは、出発の時間が決まるのを待つだけです。

19:30ごろに放送ともに
電光掲示板に新大阪までの東海道新幹線の出発時刻が出て
20:00出発になりました。

 

東海道新幹線に乗る でも満席

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改札を通り、ホームへ向かいました。
自由席しかなかったので、自由席へ向かいました。

 

やっとイスに座れると思い、
新幹線に乗ると、満席でした。

通路にも人がたくさん立っていました。

 

通路に立つくらいしかできませんでした。
その後も人が入ってきて、

通路も人でいっぱいになりました。
こんなに人がいっぱいの新幹線ははじめて見ました。

 

とはいえ、これで帰れると思い、待ちました。
無事、新幹線が出発しました。

 

しかし、地震の影響で全速は出せないとの放送があり
どのくらいで米原につくかは未定でした。

 

でも、少しづつ家には近づいていたので
考えるのをやめました。

 

特急電車くらいの速度で
少しづつ新大阪に向かって進み始めました。

 

立ちの新幹線ってすごく疲れるんですね。
結局、最後まで席には座れませんでした。

 

米原に到着 今日中に帰れないことが判明 23時

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そうこうしているうちに、
21時ごろに車内放送がかかり
23時ごろに米原につくことがわかりました。

 

ここから、金沢までの電車を携帯電話で調べました。

 

ここで残念ことがわかりました。
23時に米原に着いても
その時に乗れる電車にのっても
金沢に帰れないことがわかりました。

 

でも、迷っていても意味なかったので
とにかく少しでも家に近づくことにしました。

 

米原駅に着いて、在来線に乗り換えました。
この在来線が最終電車でした。
終点 岐阜県大垣駅というところに着きました。

 

行く場所がなかったのでホームを出ました。

 

宿泊先を探す 岐阜県でも宿泊できず

駅前にホテルがありました。
さすがに岐阜県まで来たら
東京からも遠かったので宿泊できると思い
フロントへ行きました。

 

空き状況を確認すると
「満室です」とのことでした。
時間は,24:00でした。

岐阜県でも宿泊できませんでした。

 

極寒の待合室で始発の6時まで待つことに

少し考えて、駅の待合室へ行きました。

 

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こんな感じの待合室でした。

  

ベンチが置いてあるだけの待合室でした。
電気はついていました。

 

もう、宿泊できる場所もなかったので
ここで始発を待つことにしました。

 

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冬でとてもとても寒かったのを覚えています。

 

いつ帰れるのかなと思って駅の時刻表を見ました。
始発は6時ごろでした。

 

ここが今回の就活で一番きつかったです。

 

深夜、だれもいない駅の待合室で
少し眠りながら一人で待ち続けました。
もちろん駅員も家に帰るのです。

田舎の深夜の駅には誰も来ないのです。

 

大垣の気温は、
3月は-3℃まで下がるみたいです。
気温はよくわかりませんでしたが
とても寒かったのを覚えています。

 

待合室の暖房はかかっていませんでした。

それに、待合室のベンチは硬く、
深夜の待合室は気温も低く、寒かったので
とてもじゃないけどまともには眠れませんでした。
コートは着ていたんですが、
ずっと外にいるのと差はなかったので
コートだけでは寒さはしのげませんでした。

 

それに、
リクルートスーツで革靴という状態も
きつかったです。

 

日帰りできると思っていたので
着替えも持ってきてませんでした。

 

この状態で6時間ほど待ちました。
この時間は悪い意味で永遠に思えました。

 

少し眠ったと思って時計を見ても、
1時間しか進んでいないとか
まだ3時かとかそんな感じでした。

 

あまりにも疲れすぎていて、
会社のことを忘れていました。

 

とてもとても長い一日でした。

 

たった1回の就活で来た東京で
まさかの震災に当たり
帰れなくなるなんて全く予想していませんでした。

 

始発電車に乗って 帰宅の途へ 3月12日6時

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そうこうしているうちに、
少しづつ明るくなってきました。

 

時間は、3月12日の朝5時になり駅の人がやってきて
少しづつ活動が始まりました。

 

電光掲示板の表示も出て
私の乗る電車の時刻が表示されました。

 

これを見たときはうれしかったです。

 

20分ほど待ったところで
改札が開き、
駅のホームでパンを買い
暖かいカフェオレを買って
電車に乗ることができました。

 

あとは、電車の中で出発を待ちました。

 

電車の中は暖房がかかっていて
暖かかったのを覚えています。

 

あと、パンとカフェオレは
かなりおいしかったです。

 

前日の夜から何も食べていなかったので
食べたときは生き返りました。

 

電車が駅から出発した瞬間も
かなりうれしかったです。

 

やっと家に帰れると思ったのを覚えています。

 

安心して、暖かい電車の中で眠りました。

 

自宅に到着 3月12日朝9時

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ここから1回乗り換えて
無事に自宅の最寄りの駅に着き
自宅に着きました。
時刻は朝の9時ごろでした。

 

とても長い旅でした。

 

家に帰ってからは、
暖かいお風呂に入って
朝から長い時間眠りました。

 

東日本大震災のことをニュースで知る

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起きてから、ニュースを見て
東日本大震災のことを知りました。
私はこんな状況の中から移動してきたのかと
この時にはじめて知りました。

津波の映像が衝撃的でした。

 

ひとつ驚いたのが、石川県は全く変わりなかったです。
聞くと、震度2くらいで少し揺れたくらいとのことで
全く影響がなかったみたいです。

 

その後のこと

あと、私の家族は、私に連絡がつかなくて
とても心配したそうです。
ずっと携帯電話の電源も切ってましたからね。

 

私はそのうちなんとか家には帰れると思っていたので
東京で連絡してから、ずっと連絡しなかったんですよね。

 

このあと、東日本大震災のショックが大きすぎて
1か月ほど就活をお休みしました。

 

ちなみに、東京の会社の選考の結果は
メールでお祈りメールが来てました。
エントリーシートでダメだったみたいです。


次は、なぜか公務員を目指して勉強することにしました。

 

次回に続きます。