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日常生活で学んだ個人的な備忘録です

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自分の常識 他人の非常識

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今日は、人が抱える常識についてです。

 

常識って、自分の考え方のベースなので

新しいことを考えるときに自分の邪魔すること

ありますよね。

 

常識がもたらす弊害や

常識に対する自分の行動について書いていきます。

 

 

常識の定義

「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、

普通の知識や思慮分別。」
とのことです。

 

でも生きていたら、
自分が思っている常識って
他人にとっては非常識ってことありませんか?

 

私はときどきあるんですよね。

 

仕事でもプライベートでも。

 

たとえば、仕事では、ひとつの業種を続けると
下のことがわかってきます。

・その業界の常識
・その組織での常識
・その部署での常識
・その人の中での常識

 

転職とか部署移動があり
違う環境に移ったタイミングで
常識と思っていたことが非常識だと
知ることがあります。

 

常識のできかた 環境と経験

そもそも常識は
少しづつ形作られていきます。

 

主に今まで生きてきた環境と
これまでの経験からです。

 

特に痛みを伴う場合や
心にショックを伴うような大きなことが
強く影響します。

 

この常識は、
さいころの経験が
人生の後々に影響します。

 

これは、私の経験でわかります。

 

小学生のときに、友人にいじめられた経験があるのですが
これが原因で人間不信になりました。

 

1年おきにそういうことがあり
結局、中学校までそういう経験がありました。

 

そして、この時の傷はとても深く
20歳になるまで人間不信は解けませんでした。

 

この状態から抜け出すのは、苦労しました。

 

その段階までロクに人とコミュにケーションを
とってこなかったので
自分が信じているものすべてが
世の中の常識だと思っていました。

 

でも、20歳以降で
いろんな人と会話していく中で
私の常識は、非常識だったことがわかりました。

 

今でもたまにろくでもない発言をしてしまうときがあるのですが
20歳前後の時は、かなり失言が多かったです。

 

その段階では失言とは思ってないのですが
相手からしたら相当失礼だと思っただろうなと思います。

 

でも、その年齢までまともに
人とコミュニケーションとってなかったので

失言かどうかもよくわかりませんでした。

 

そして、この過去の経験が人によって異なるので

常識ももちろん人によって大きく異なります。

 

もし、ほかの人で、私と全く同じ経験をしても

人によって結果は変わります。

 

アインシュタインが言っていました

「常識とは18歳までに身に着けた

 偏見のコレクションのこと」

だそうです。 

 

 

常識のやっかいな点

話を常識に戻しまして

この常識がやっかいなのが
年齢が進んで経験があればあるほど
経験と常識が結びついて
強く表れやすいことです。

 

昨日は意見の対立について書きましたが
この常識がもとで
対立が起きることがあります。

 

もしも、話をしている間に
会話している相手の過去の経験による
常識がベースとなって
意見の不一致、対立が生まれているとしたら
この対立意見を抑えるのは
その人のこれまで生きてきた上で
つちってきた経験による常識を
ひっくり返すことになるので
この場合は、バトルになりやすいです。

 

もしも、途中で会話している相手が
細かくこだわりだしたら、その部分が
その人の常識に近い部分であり
大切に思っている部分の可能性があります。


新入社員で入社した直後は
相手の名前もままならないですが
こういう相手の常識も見えないですよね。

 

 

常識が理解出来れば会話はスムーズに進む

でも、その人を観察して
逆にその人の常識が理解出来たら

その常識をうまくおだてたり
褒めてあげると
話がスムーズに進む場合があります。

 

特に、相手が男の人の場合です。

 

あとプライドが高い人ほど効果があります。

 

多少、わざとっぽくてもいいのです。
それでコミュニケーションが円滑に進むなら。

 

それでも、これをする相手は選びますけどね。

 

この常識はその人の思考のベースとなる考えのひとつなので、
ある意味行動が予想できるようになります。

 

たぶん、こう言ったらこう言うだろうな
ということです。

 

ちなみに、真剣な話をしているときは
話をちゃかす感じになるので
常識をおだてるのは、やらないほうがいいです。

 

私もここは気を付けています。

 

 

常識について気を付けること

最近、私が気を付けていることですが、
あまり自分の常識にはとらわれないように
心がけています。

 

なぜなら、この常識が強く出すぎると
こだわりとなって現実に表れるのですが
状況によっては、独りよがりのような形で

表れることがあります。

 

でも、現実ではその常識よりも、

もっと良い考えが見つかる場合があります。


まず、世の中の技術は
少しずつ進歩しています。

 

これまで常識としてできないと思われていたことも
徐々に実現されてきています。

 

たとえば、車の自動運転です。

 

自動車を運転するには
自動車免許が必要ですが
完全に自動運転になったら、
人が操作することもないので
運転免許なんてなくなる可能性があります。

 

これだけでも
これまでの常識の転換です。


ここ最近まで私の会社も
テレワークなんて夢のまた夢と思っていましたし
出勤するしかないんだろうなと思っていたのですが
コロナの影響でテレワークが実施されましたし。

 

世の中の常識も少しずつ

変わってきているような気がします。

 

 

自分の中の常識の確認

最近、よくやるのが
仕事で何か怒りを感じたり、何かにこだわりだしたら
自分の中にある常識を確認することです。

 

なぜ私はこんなにこの部分にこだわっているんだろう?
ということです。

 

これを分析しておくと、
次に似たようなこだわりが出てきたときに
冷静に自分のことを分析できるので
有効な行動がとりやすいです。

 

それに、自分の我をどうしても通したくなるような
意見の対立を避けられるかもしれません。

 

もちろん、どうしても自分の意見を通したい場合は
話は別ですけどね。

 

まとめ

今回は常識についてまとめました。

常識は、日常生活を送る上では大事です。

 

しかし、ある常識が
自分の行動の足を引っ張ることがあります。

 

私の仕事である開発職だと、
過去の実績のみで未来の施策を決めると
どうしても保守的な行動が多くなります。

 

その場は、安全かもしれませんが、
未来でどうなっているかわかりません。

 

もしかしたら、採算が悪くなって
私の部署が消滅している可能性もあります。

 

そうならないためにも、
自分の常識も、たまには疑うようにしています。

  

私が信じている常識が間違っていることも

けっこうあるんですよね。